写真ふきよせ帳
季節は雨を引き寄せつつ、確実に春へと向かっている。
季節の変化を雨で知る、私たち。そんな国に生まれたことの喜びをかみしめながら、「おくりびと」のオスカー受賞の報を聞く。
今日から、ためしに「写真ふきよせ帳」なるものを掲出しようと思う。あいもかわらずのきまぐれ更新だが、ご愛読いただければ幸いである。
リンクは以下の通り。
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季節は雨を引き寄せつつ、確実に春へと向かっている。
季節の変化を雨で知る、私たち。そんな国に生まれたことの喜びをかみしめながら、「おくりびと」のオスカー受賞の報を聞く。
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では、お約束通り「いただき物」のコーナーを立ち上げることにする。
あ、その前にですね、言いわけがましくはありますが、本来はこのブログ、そういう趣旨のものじゃないですからね。そこんところ、よろしくご理解くださいね。
でも、「いただき物」のコーナーを立ち上げると書いたとたんに、アクセス数が伸びてきてるからなぁ。皮肉だよなぁ。
さて、いただいたチョコの数々が、これです。
まず目をひくのが、ゴリラの形をしたチョコ。これにはびっくり。毛並みまでリアルに仕上げられていて、インパクトあり。
ゴリラの右側にあるのが、おかきにチョコがコーティングされていて、さらにその上にナッツがまぶしてあるもの。これ、ブログを書きながら食べているけど、おかきの塩っけとチョコの甘さと、ナッツの歯ごたえが、なかなかよろしい。
さらに左のチョコフレーク二品は、僕の大好物です。わざわざ北海道から取り寄せてくださったそうです。居住まいを正していただかねばなりますまい。
前列に移って、ハート型のミニチョコのセット、抹茶チョコボール、サクランボのチョコは、見ているだけでも楽しい。
後ろには、オーソドックスなチョコのセット。これはちょっと宝石箱みたい。
そうそう、実はこれにチョコのマカロンがあったんだけれど、賞味期限の関係でいただいたその日に食べてしまいました。申し訳ない。しかし、これ、西洋チョコ最中とでも言うべきか、驚きの味でありました。
それから、左に見えるネクタイもいただいちゃいまいた。青って、実は持ってなかったんですね。バリエーションが増えて、うれしい。
ところで、一番前にあるピンク色の封筒、気になりますでしょう? これは、「子ども作文教室」の受講生の一人からもらったお手紙です。チョコに添えられていました。
今年小学校に入学する女の子からです。
文面がなかなかふるってる。
高山先生へ、
いつも作文をおしえてくれてありがとうございます。
これからも、がんばります。
なが生きしてください。
彼女の作文には、いつもニッコリさせられてしまう。
私にプレゼントをくださった皆様に、この場を借りまして、あらためてお礼申し上げます。
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困ったなぁと思っている。
悩んでいるのだ。
バレンタインデーのいただき物に、いささか戸惑いを覚えている。
このブログに何度か「いただき物」のことを書いたことがあった。どうも、それが一因しているらしい。
そこに、僕の好みを書いたことで、今回お取り寄せまでしてくださった方がいらっしゃったのだ。
うっかりしたことは書けぬと、自戒している。
こういう自慢めいた話は、読む側とっていまいましい限りだろう。
すみませんね。でも、ま、大いにうらやましがってくださいな。
この際だから、「いただき物」のコーナーも立ち上げちゃっても、いいかもしんない。
…あ、いや、これは失敬。つい、調子に乗ってしまった。
週明けから東京に出張していたので、いただいた品々の中身もじゅうぶん吟味していない状態である。ひとまずこの週末に一つ一つあらためてみるとするか。
その上で、「いただき物」のお写真を掲出しようと思う。
何だ、けっきょく「いただき物」のシリーズをやるっていう話になってしまったではないか。
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映画「誰も守ってくれない」には、解決が示されていない。 社会派ドラマとして、あるいはロードムービーとして、それこそさまざまな点から観ることができようが、一つ言えることは不安定であるということだ。 じつは、この作品の前評判は耳にしていたが、テーマの重さゆえ「観ることはあるまい」と、心のどこかで決めていた。ところが封切り前、テレビでこの作品と連動企画のドラマを放映していたのを見て、居ても立ってもいられなくなった。それほど力のこもったドラマであった。率直に言って、近年これほどまでに作り手の熱意を感じるものを観たことはなかった。 考えてみれば、人が生きていく中で、いくつの問題が解決できるのであろうか。むしろ、あらたな問題の発生に悩むことの方が多いのではないか。しかしまた、問題を解決しようとする過程においてこそ、人は生きることを実感するのではないか。 「誰も守ってくれない」は「誰も考えてくれない」、そして「考えるのは自分しかいない」と読みかえることができる。
解決の方向はほのかに示されてはいるものの、解決は提示しない。
そして、それがこの作品の命と言える。
登場人物すべてが精神的に不安定なのである。もちろん、ドラマとして観る者の共感を得る者とそうでない者の違いはあるが、要はその不安定さをどのような尺度でコントロールしているかということにすぎない。それを、手持ちカメラの不安定な画面で巧みに描く。
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今年初めて、神戸SONEの昼下がりのJAZZライブに行く。
本日のヴォーカルの河本江閲子さんは、以前にその歌声を聴いたことがあり、実に楽しげに歌う方で、パンチもある。それ以来、ファンになってしまった。
僕のような仕事をしていると、ライブは実に勉強になる。特に彼女のライブでは、元気をもらえる。
彼女の歌声を堪能して帰宅したら、いただき物が二品。
梅干しとパウンドケーキだ。
以前二男の小学校のPTA役員をした時のお仲間で、今もお世話になっている方の、お手製とのこと。
梅干しは、以前このブログで取り上げたところ、あちらこちらから反響があり、やはり日本人と梅干しは切って切れぬものだなと得心したが、この梅干しにも、作り手の気迫がこもっていましたな。とにかくキレのいい酸っぱさ。脂っこい料理の後には、舐めるだけでも口中の油っ気がきれいさっぱりと消えてしまいそうなほどである。
パウンドケーキは、僕の大好きなチョコフレークが幾重にもふりかけてあって、なかなかおもしろい食感。ちょうど枯葉が敷き詰められた道を一人踏みしめて歩いて行くような、そんなぜいたくな気分になれる。
そうそう、いただき物ということで言うならば、一番右の写真のポップコーンも忘れてはならない。こちらは、作文教室でお世話になっている方からいただいた物だが、調理の仕方がとにかく変わっている。何と実を軸からはずさずこのまま下の紙袋に入れ、レンジで加熱するというものなのだ。当然のことながら袋の中でコーンがはじけていくわけだが、それが軸についたままで、取り出すとまるでポップコーンの花が咲いたような感じになっているのだ。
先日一本食べたのだが、ちょうど焼きとうもろこしを食べるようなかっこうで、軸についているポップコーンをかじった。
人間、食べ物のことを考えている時が、一番幸せなのかもしれない。
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