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蕎麦と矛盾

昼飯にと入った店で、ざる蕎麦を手繰りながら、朝刊のコラムを思い出していた。
「年賀状書きは死者と向き合う作業でもある」という一文である。喪中の便りをさしての言葉だ。
僕にも今年、数通の喪中葉書が届いている。ただ、その中にはお世話になった先輩お二人についての悲しい知らせもあった。
それぞれ別の職場での付き合いであったが、お二人とも僕と10歳も離れていない。まさに兄のような存在だった。しかもともに僕の勝手で不義理をしてしまった。訃報が直後に届かなかったのは無理もない。

もう少しきちんとした報告ができるまではと、思っていたのが悔やまれる。
人の命などはかない。よく言われる言葉だ。しかし、そんな一言では納得できない。

作家の池波正太郎氏が「人の人生の中でたった一つはっきりしていることがある。それは確実に死に向かって生きているということだ」という意味のことをエッセイの中で述べていた。
正月をシニカルにとらえた文人も、古来より多くいる。

確かに死に向かいつつ長寿・息災を願って年越しに蕎麦を食するのも、矛盾と言えば矛盾である。

矛盾…、
僕は、蕎麦猪口に湯桶を傾けた。
…もとよりそれは承知の上である。矛盾を重ねることで人は、生きていけるのにちがいない。それが、人を動かす。

彼の先輩方は、やはり今も僕を支えてくれている気がする。

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コメント

すみません、またまたお邪魔します。。

死生観、これは人間の驕りではないでしょうか?

小学生の時、もし自分が死んで、生まれ変わりが
ミミズやムカデだったらどうしよう。。
と真剣に悩んだものでした。。

現に彼らは生態系の中で立派にそんざいしてるのですからね。。w

投稿: ウナヤンケ | 2013年1月10日 (木) 21時26分

ウナヤンケさん

小学生のころ真冬に半ズボンで登校させられてた時、
「もし犬だったら、寒さなんか感じないんだろうなぁ、きっと。うらやましいなぁ」
などと、想像してましたね。

死生観とは結びつきませんが、そんなことを思い出しました。

投稿: りゅうはく堂店主 | 2013年1月12日 (土) 00時07分

>「もし犬だったら、寒さなんか感じないんだろうなぁ、きっと。うらやましいなぁ」

でも、夏には大変かも。。。w

温暖化は確実にやってきてますね。。
小学生の頃、冬の早朝には、水たまりに張った氷を通学途中に踏んでゆくのが日課でした。。

現存の生物が進化(適応?)する前に環境変化に気づいてしまうことは恐ろしいことですね。。

投稿: ウナヤンケ | 2013年2月 9日 (土) 11時57分

ごもっとも。
あんな寒さの中で、私も低学年のころは火鉢と炬燵で生活していたのですからね。

そして、変化に気づいてもそれに対応できなければ、かつての恐竜と同様の途をたどることになるのかもしれません。

投稿: りゅうはく堂店主 | 2013年2月11日 (月) 10時49分

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