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2010年5月

映画「書道ガールズ」

映画を観て、強烈な思いに駆られるというのはめったにあるものではない。
僕の場合、「スウィング・ガールズ」でピアノを始めようと思ったのが、最初だ。二度目が、この「書道ガールズ」である。
「燃えよドラゴン」を観てもカンフーを始めようとは思わなかった男が、女子高校生を主人公にした作品ばかりに奮起してしまい、どうもばつが悪いのだが、本作で書道をもう一度やってみようと思った。

もともと書道はやっていて、学校でも書写を担当してきたが、このようなパワーのある書というものを考えたことがなかった。それが、もっと違う形でできるのではと思えてきたのだ。

この映画のテーマは「再生」
町、生徒、教師、生活する人々の再生である。
予告編を観たときに、これに近い物語はいくつも知っているという先入観が生まれた。それでも、今は、そういう映画を観たいとも思ったのだ。
人物背景の描きかたに少し欲張ってしまった面があり、消化不良は否めないが、それでも体の中から突き上げてくるものがある。むしろこういうタイプの作品の方が、僕は好きだ。

書道をやっている息子にも観てほしくなった。いや、私の担当している生徒にも観てもらいたい作品である。

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ジャズ・ストリート

梅田へ買い物に出たついでに、心斎橋「神座」のラーメンを食べようと地下鉄を降りたら、「御堂筋オープンフェスタ」をやっていた。まったく予備知識もなかったので驚いた。

ちょうど、ジャズライブをやっていたので、ちょっとのぞいてみる。なかなか聴かせるミュージシャンがそろっていた。
しかも、プロのミュージシャンに交じって関西大学北陽高校ジャズバンド部が参加していた。
これがまた、すこぶるよろしい。胸が熱くなる。

こういう若者がいるということ自体が、うれしく頼もしい。

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「椿三十郎」

さて、連休の関西周遊の旅をしめくくるのは、やはり映画。

実は、黒澤作品の中で一番好きなのが、この「椿三十郎」なのである。
それまでの東映時代劇に代表される剣劇ではない。そのことに異常な興奮をおぼえた。こんな知的でユーモラスなドラマを、しかも時代劇でやってしまうという黒澤明の手腕に、感嘆した。

意表をつく台詞の重ね方、超ローアングルによる迫力ある映像。
スクリーンで観るのは、学生時代に自主上映作品(なつかしいなぁ、この響き)として、16ミリ映写機で上映したとき以来である。
もちろん、今までにビデオやDVDで、何度観てきただろう。
それでも見落としてきたものが、たくさんあった。

映画はスクリーンに合わせて作られている。こんな当たり前のことをあらためて感じさせられた。

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お金のないときの連休の過ごし方

この連休は、ずっと出歩いている。
ふところが、ちょいと寒いからだ。

こんなときには外出するに限る。外出すれば出費がかさむではないかという声が聞こえそうだが、じっと家の中にいると、僕の場合かえって精神的によろしくない。よけいに貧乏くさくなる。

だから、発想を変える。
どう変えるか? さよう、自宅をホテルと考える。たとえば関東から遊びにきている人になりきるのだ。すると、このホテルを拠点として関西の周遊をするというプランが出来上がる。ホテルといっても自宅だから、宿泊代は不要。朝食付きで、朝刊のサービスあり。チェックインやチェックアウトのわずらわしさもなく、夜は最上階のラウンジ(3階の自室)でブランデーだって楽しめる。

一昨日は、大阪の新世界や日本橋めぐり。昨日は梅田の映画館で映画鑑賞。
そして、今日は神戸まで足をのばしてJAZZライブを楽しんだ。

神戸でJAZZと言えば、何度も紹介しているけれど、やっぱりSONEだね。昼下がりのライブは、何と1ドリンク付きで1,000円だから、僕の関西周遊の趣旨に合致する。
今日は、Vo 池田杏理 SAX 稲屋浩 P 加納新吾 B 神田芳郎 D 岩高淳 というメンバー。
杏里さんという人は、見るたびにイメージが変わっていく、ちょっと不思議な人。歌も艶やかな高音で聞かせてくれるのが、僕にとっては魅力的である。

SONEを後にすると、三宮センター街にある洋書屋をのぞく。
電車に乗る前に、ガード下の「ひょうたん」という店で味噌だれのぎょうざとビールを楽しむ。

どうです、うらやましいでしょう?

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「NINE」

この作品を、ある映画監督の再生物語として片づけてしまうには、あまりにもったいない。
単純なようでいて、入り組んだエピソードの数々。それにモノクロ画面の妙、照明の巧みさが折り重なっていく。
フェリーニの香りがし、トリュフォーの「アメリカの夜」も思い起こさせた。

しかし、それらと一線を画すのは、本作がミュージカルであるということ。
ミュージカルと言えば、フレッド・アステアやジーン・ケリーの昔から、舞踏の場面を競って三次元化させることを競っていた。
今は、違う。

ロブ・マーシャル監督は、「シカゴ」でも舞台のような二次元化をあえて試みようとした。今回はそれをさらに進化させたと言える。実はマイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」でも同様の試みがされていると、私には感じられてならない。

それはともかく、ミュージカルにリアリズムを求めようとする現代の志向が、そうさせるのだろうか。つまり、ダンスシーンを登場人物の内面的思索の具象化であると位置付けたいのか。

いや、むしろバーチャルと現実の見分けが困難な観客に対しての配慮からなのか。
考えさせられる作品であることには違いない。

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「えべっさんとラーメン」

大阪で「えべっさん」と言えば、ここ今宮戎神社をさす。
商売繁盛で有名だ。

しかし、大型連休とは思えぬほどの静けさが、境内に満ちていた。
「せめて連休中は商売のことは忘れて」ということだろうか。

実は僕がここに足を踏み入れたのも、近くにあるラーメン屋「無鉄砲」に立ち寄るついでがあったからだ。このように書くと神様に失礼だが、長男いわく「そこのラーメンがとんでもなくうまいから一度食ってみろ」というので、挑戦したしだいである。

こっちは昼飯にでもと考えたのだが、店の入り口から伸びた行列を見ると怖じ気ついてしまい、夕方チャレンジすることにした。

午後6時に行列に加わって、店内でどんぶりを手にしたのが午後6時40分。食べ終わって暖簾を後にしたのが、午後7時。明るいうちに行列に加わって、店を出れば夜になっていた。
そうそう、ラーメンの全容を写真にとも思ったのだが、うまく写せる自信がなかった。「濃厚」なんては言葉ではおさまらない。ギトギトヌルヌル豚骨。それほどにグロテスクな外見だった。味は意見の分かれるところ。僕は抵抗なく食べることができた。
また行ってもいいかなと思っている。

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平成22年度 学校法人永井学園 鹿島学園高等学校奈良キャンパス 入学式 学校長式辞

「間違うことは、正しい」

 新入生の皆さん、入学おめでとう。
 保護者の皆様、本日はお子様のご入学、まことにおめでとうございます。
 さて、入学にあたり新入生の皆さんには、「間違えることの、正しさ」について話をしたいと思います。
 こう言うと、皆さんは「あれっ?」と首をかしげることでしょう。間違えることが正しいとはどういうことだろう…ってね。正しくないから間違えてるということじゃないのかと、戸惑うはずです。
 ですが、間違えることは、確かに正しい答えを見つけることの最も着実な方法と言えます。なぜなら、いくつかの選択肢を前にして迷ったときに、間違った選択をしたことで、この次からはこの選択肢は選ばないでおこうという知恵が生まれてくるからです。少なくとも「これと同じパターンの選択肢はヤバイぞ」と直感することができますよね。
 これを、広い意味での「学習」とか「経験」と言うのです。
 そして、これらを通して次から正しい選択肢を絞り込むことができるのです。
 人間の文明もこの繰り返しによって発達してきたと言ってよいでしょう。
 話は変わりますが、今、坂本龍馬がブームですね。
 私も司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み進めています。読書というのは面白いもので、読んでいるうちに「この本は、まさに私のために書かれた本だ」なんていう気になってきます。
 ちょうどヒーロー物の主人公と自分自身を、重ね合わせて見てしまう子どものようなものです。
もちろん、司馬遼太郎さんも私のために「竜馬がゆく」を書いたわけじゃない。でも、そういう誤解をできるところが読書の楽しみの一つだと思うのです。そう、「俺も竜馬のように生きてやろう」というふうにね。
「大いなる誤解は、生きるエネルギーとなる」
 私は、そう考えます。
 この二つから、私は皆さんに何が言いたいのか、分かりますか?
 それは、最初から間違うことを恐れるなということ。
 大いに誤解してエネルギーに換えれば、それはそれで君にとって正しい選択・解釈に向かっているのだということです。
「悟ったようなことを言う人は、あきまへんなぁ」
 と、先ほどの司馬遼太郎さんは、あるインタビューで答えたそうです。はじめから正しい答えを探すことに汲汲として、結局何もできないことの愚かさを皮肉った言葉と、私はとらえています。
 新入生の皆さん、どうか、間違いや失敗、誤解を恐れないでください。そこにこそ、みなさんの成長があるのです。
 そこに、誇りを感じてください。

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