映画「阪急電車」
ドラマは人物の心理の変化を描くことで、成立する。
映画「阪急電車」のように複数の人物の心理の変化を同時に描いていくのは難しいが、演出者としては魅力的なテーマでもある。
ここでは「聞く」という行為に焦点を当てて、ストーリーを組み立てていった。
つまり、見ず知らずの相手の話を聞くということである。
そのために、日常の風景に非日常を持ちこんでみせる。中谷美紀が純白のドレスで電車に乗るシーンは、その最たるものだ。
日常と非日常という言葉を使ったが、これはそのまま「公」と「私」という言葉に置き換えてもよいだろう。
純白のドレスは、婚約者に裏切られた女の私情の表れである。それを電車という「公」の場に持ち込んだわけだ。とたんに周囲は緊張感に包まれる。
老婦人が、それを察して彼女の話を聞いてやる。
言葉を交わすうちに、気丈に振舞っていた女性の目から涙があふれ出る。
「私」を「公」に持ち込むことのばかばかしさに気付いた彼女は、白いドレスを捨て、引き出物をゴミ箱に入れる。
そうやって、心を軽くしていく。
モバイルは便利ではある。
しかし、それはあくまでも「私」とい側面を持つ。「公」に持ち込むのは愚かだ。
「公」の場で「私」を携帯している人間があまりに多すぎる。いや、携帯するだけならいい。それをこれ見よがしに振り回す者がいる。
あらためて「公」の場で聞くことの大切さを、この作品は問うているのではないか。
だからこそ、ヘッドホンを耳にあてがっていた軍事オタクの青年もそれをはずし、「私」から「公」へと目を向け始めたのである。
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