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2012年3月

映画「戦火の馬」

主人公が数奇な運命をたどるというドラマはいくつもあるけれど、そして、主人公が馬と人間という違いはあるけれど、僕にはこの作品と「ベン・ハー」には相通じるものがあると思えてならない。

幸せな日々から、過酷な運命へと引きずり込まれ、それでもなお明日を信じる者の強さと気高さを描く。
強さを失わない者だけが享受できる奇跡。
神への畏敬。
描写の手法に違いはあるけれど、両作品にはそれが色濃く出ている。

馬の走るシーンがまことに美しく描かれているのも、共通点だ。

人と馬。
そう、人は馬に語りかける。
馬は人の言葉を理解しているかもしれないが、理解していないのかもしれない。
そして、馬は言葉を発しない。身体の動きや鳴き声で、人が解釈するに過ぎない。
しかし、そこにこそドラマが生じる。

「戦火の馬」では、人間が崇高で馬がそれにつき従う生き物であるという図式を感じさせない。
むしろ、人間の愚かしさと危うさを突き付けている。
英独の兵士がにらみ合う中での、馬の救出場面はその最たるものであろう。
直前まではお互いに銃口を向け合っていたのが、馬が鉄条網に絡んで動けなくなっていることを知るや、両軍の兵士が歩み寄ってそれを助ける。
その精神は崇高である。
ところが、馬が自由の身になると、とたんに両者がその所有権を主張し始める。

その愚かしさ、崇高であると思われている精神の危うさ。
この時、スクリーンのこちら側で観ている者は、すでに神の視点で登場人物たちの言動を悲しい思いで受け取ることになる。
そう、『蜘蛛の糸』のお釈迦様のように。

人間の愚かしさを、人間が諭しても伝わらない。
人間を一度神の視点に立たせておいて、その上で自らの愚かしさを痛感させるしかない。

スピルバーグは、そのために馬を主役に立てたのだ。

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革モノ周囲物語(一)

以前に書いた「ナンショル」が好評だったので、あらためて僕の身のまわりにある革モノについて考えてみた。

で、昨年末にこの手帳カバーを買ったことを思い出した。

僕は「超整理手帳」をもう十数年愛用している。
それ以前は能率手帳やシステム手帳などを使っていたが、どうもお洒落じゃない。素っ気なかったり、仰々しかったり…。
何より、手帳を持つことの利点を感じられなかった。

ところが、この「超整理手帳」はよく考えられていた。
スケジュール管理に特化しているのだ。
何より、このスタイルがいい。これがそのままスケジュールを見通すことのできるデザインになっているのがいい。

ただし、これに付属の手帳カバーが残念。
あまにペラペラで安っぽく、事実、一年の終わりごろにはあちらこちらが破けていたものだ。
まあ、毎年買い替えるものだからと、自分を納得させていたのだが、やはり今一つしっくりとこなかった。

そこで、昨年末に思い切って手帳カバーを買おうとネットで探しているうちに、これに行き着いたのだ。

まず、革の持つ温かみが、スケジュールを書き込んだり確認したりするときの忙しさを静めてくれる。
以前のビニール製から比べるとかさ高くなってしまうが、その分僕自身の中で手帳の存在感が高まり、それを通してスケジュール管理を大切にするようになった気もする。

毎日使うものだからこそ素材にこだわることが大切であることを、実感させてくれる。
そんな道具となった。

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大東市立深野小学校 「マナー教室」(4年生対象、講話と実習)

3月6日 受講者 約90名

「おとなになる前から始めるスマート生活の方法」というサブタイトルのもとに、以下の内容で講習をしました。
①「おとなの世界はそんなに甘くない」と言うけれど…
②世の中にはいろんな人がいるんだ
③どうせなら、スマートにいこうよ
④電話もかっこよく

今回のテーマは、ズバリ「マナーはお行儀よくするためだけにあるんじゃない、身を守るための大切なコツなんだ」ということ。

ちょっぴり大人の気分を味わいながら、学校や家庭ですぐに実行できるマナーの基本を学んでもらいました。

以前から「子ども作文教室」で小学生の皆さんと接することはありましたが、今回のようにクラスでまとまって一つの授業として指導するのは、私にとっても初めてのことでしたので、とてもよい勉強になりました。

また、深野小学校の皆さんの勉強熱心な態度に、とても感心しました。

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