映画「アーティスト」
「制約と省略があるところに芸術性が生れる」とは、使い古された言葉だが、この作品を観ることで、あらためてそれを痛感する。
この「アーティスト」は、モノクロ映画であり、かつサイレント映画だ。
モノクロゆえに、観る者自身が意識の中で色を当てはめていかなくてはならない。
サイレントゆえに、セリフを俳優たちの表情にかぶせていかなくてはならない。
いや、これらの文末の表現は正しくない。
「…ならない」のではなく、「気づかぬうちに…なってしまっている」に修正すべきだ。
情報の受け手側の意識作用によって、初めて作品たり得る。
皮肉にもこの作品の中で「トーキーなど芸術ではない」という場面があったが、それを実感させる手腕が巧みである。
さらに、サイレント映画としての古典的な手法と、実験的な手法をおりまぜる演出などは心憎いばかりだ。
そしてまた、音を効果的に入れたことで、性格描写がより鮮烈に伝わってくる。
ラストのダンスシーンの直後に発せられるセリフと、俳優たちの息づかいに、不覚にも涙があふれてきてしまった。
ここに、映画を愛する者の心情が集約されている。
この作品を観ているうちに、ジーン・ケリーの「雨に唄えば」を思いうかべる人も多いだろう。
きっと、アメリカ人の心を鷲づかみにしたに違いない。
サイレントでもトーキーでもいいんだ、モノクロでもカラーでも、3Dでもいい。
とにかく理屈はどうでもいい。おれたちはドラマを作っているんだ。
そして、それを楽しんでいるんだ。
そんな熱い想いが伝わってくる。
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