謹賀新年
新年明けましておめでとうございます。
最近はもっぱらFacebookとTwitterばかりで、こちらの更新をだいぶ怠っておりました。
FacebookやTwitterはこまめに近況報告ができるものの、やはりまとまった内容となるとブログに軍配が上がります。
今年ものんびりと更新してまいりますが、何とぞお見限りなくお付き合いの程を。
まずは手始めに、昨年末の講演活動の報告からまいりましょう。
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この時期になると、僕のような者のところにもいくつかのチョコレートが迷い込んでくる。
世の中では、「義理」だの「本命」だの「友」…「逆」などといった但し書きがつけられて、それこそ天文学的な数量のチョコレートが行き来する。
この世に生を受けたチョコくんにとって、まさか将来こんな看板を背負って世間を渡っていくことになろうとは、夢にも思ってなかっただろう。
とは言え、それをいただく方は、何だってかまわないんである。
「義理」のラベルを指差して「そこんところを、何とか本命に…」なんてことは、筋が違う。
身の程をわきまえておりますよ。ハイ。
それにしても、箱詰めのチョコレートの愛らしさよ。
このふたを開けるときのときめきは、何ものにも代えがたい。
そして、中のチョコレートの一つ一つが我先に、口に入れて欲しいという声をあげている様子を見ていると、ちょっとした王様気分になってくる。
「まあまあ、そう騒ぐでない」
と言いつつも、迷う指先は彼らの頭上をしばし蛇行する。
確か、映画「フォレスト・ガンプ」の中でこんなせりふがあったっけ。
「ママが『人生はチョコレート箱のようなものよ。開けてみるまで何が入っているかわからないわ』ってよく言っていたんだ。」
それを言うなら、「食べるまでわからない」じゃなかろうか。
人生に転がっているさまざまな岐路。それに悩んで悩み抜いてきたからこそ、自分の選択には責任を持ちたい。
王様にも悩みはあるんだ。
人生、悩みはつきものだが、そこに楽しさもあるような気がする。
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新年早々、お金のかからない楽しみばかりをご紹介しております。
しかし、お金がかからないっていうのは、本当にいい。
今回は、まったくのタダ。そう、ノベルティー・グッズであります。
僕は、こういうのに弱いんだなぁ、情けないほどに。
Aramisのグッズの案内は、よくいただく。
こういうのって、普通は「○○円以上お買い上げの方に…」という一文が小さくぶら下がってるんだけど、天下のAramisさんは、そんなケチくさいことは言わない。
いかがですかな? このポーチ。
500ミリのペットボトルが入ってしまうぐらいの大きさ。いろいろと入るねぇ。
ただ、正直なところ、お金を出してまでこいつを手に入れたいかと問われると、確固たる決意をもって「Yes」とは言いがたい。
でも、その辺の危うさが楽しい。ちょっとたとえは悪いが、昔懐かしい「当て物」の景品のような水っぽさが、このようなノベルティの味なのである。
こう見えても僕は子どもの時分、これでけっこう「当て物」には入れ揚げてましたからね。
こういうことは、自信持って言える。
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大掃除を手早く済ませる人と、じっくりと時間をかけてやる人がいる。
わが家はどちらかというと、手早くするタイプが多い。
二人の息子は躊躇なく物を捨てられる方だから、話が早い。僕もきれい好きだから、一日もあれば十分だ。
かみさんは、…うむむ、これは根っからの掃除嫌いときているから、もう比較にはならないね。
それでも、物をあちこち引きずり出して分別していると、時間のかかってしまうこともある。
学生時代に書いた小説のようなもの、山歩きのときに使った地図、失くしたと思っていた万年筆…など。
ま、これはいいでしょう。
ところが、昨日はいけなかった。
何がいけないかというと、モデルガンが出てきたのである。コルト・シングルアクション・アーミーっていうやつ。
そう、西部劇によく出てくる代物、って思ってくださればよろしい。
こいつが出てきたのには、ちょっと驚いた。すっかり忘れてたけど、手に持つとズンッとくる嬉しい重さ。
そうそう、これこれ。この重さなんだよなぁ。
れんこん状の弾倉を回すと、昔ながらの冷たい音がする。撃鉄に親指を這わせてみる。
そして、振り向きざまに素早く腕を伸ばして、照準を合わす。
ちょっと決めてから、薄笑いを浮かべつつ、
「命拾いしたな」
なぁんて、軽く銃を回す。
「そういえば、ホルスターが確かあったはずだが」
そうこうしているうちに、ゴミの山に立つ保安官が生まれてしまった。
父親が早打ちの練習をしているところに、2人の息子たちがやってきた。
どうやら、口真似で発砲音の効果を出していたのを、何かの騒ぎだと勘違いしたらしい。
「なっ、何してんのん?」
これだから、大掃除は油断ならない。
手早く済ませるか、かみさんのように最初からやらないと決めこむか、どっちかだ。
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「上腕骨上顆炎、いわゆるテニス肘ですね」
医者からそう言われた。
テニスなど、生まれてこのかたしたことがない。
そう訴えると、
「いやぁ、テニスだけとは限りません。たとえば中華鍋などの重い道具を激しく振り動かしながら調理するコックさんなんかも、こいつになってしまうことがあるんですよ」
医者の言を借りれば、僕のようなペンを持つ仕事でも発症する可能性が高いそうな。
今年は、作文の添削の枚数を意識して減らすようにしたが、それでも週に100人近くの作品には朱を入れるようにしている。
6月の上旬から右肘あたりに違和感を感じていたが、ついに先週の半ばからは箸をつかうのもおぼつかなくなってきてしまった。ましてペンを手にすることも困難だ。これからの猛暑を控え、ビールジョッキを持つこともできないのである。
おいおい、勘弁してくれよ。
で、シップ薬といっしょに渡されたのが、この肘用サポーター。
ただ、どう見ても治療用まるわかりの色と形状だ。いちいち人に説明するのも億劫。
帰宅してからネットで調べて見ると、スポーツ系のブランドからいくつもテニス肘用のサポーターが出ている。しかも色デザインともに精悍な感じだ。
どうせ治療するなら、おしゃれな方がいい。
では、今度の週末にスポーツ店に行ってみるとするか。
おっと、だが、待てよ。
となると、そのサポーターだけが独り歩きしてしまうのも、何だな。
じゃあ、おしゃれついでに、持ち歩き用のラケットもそろえるとするか…
これじゃ、まるでカタチから入る中年おじさんゴルファーだな。
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先日、大阪国際滝井高校3年生の本年度の授業を終えた。
毎年この時期になると、生徒諸君に私の授業の評価をしてもらうことにしている。
今年度は「国語演習」という科目で、いわゆる国語常識と作文指導を担当した。
評価と言ったのは、生徒にその授業の内容および進め方について率直に意見や今後の提案を述べてもらうことを指している。
私はずっと高山先生のことをうらやましいと思ってました。
先生は小説のことになると目をキラキラ輝かせて話すので、本当に自分の好きな仕事をしてるんだなぁといつも感じておりました。
(中略)
だから、(私も)高山先生みたいに本当に好きなことを見つけて、それを職業にしたいなぁと思います。
これは、その評価の中から抜粋(表現はそのまま)したものだが、実はこれと同じ意味のことを鹿島学園高校の生徒諸君からも、よく言われる。
これには、ちょっと驚いてしまった。
確かに、大阪国際滝井高校の授業でも、作文指導では高校生ではなく一人の「作家」として書くようにと指導をしてきた。
鹿島学園高校の授業では、そのものずばり「ライトノベル入門」という授業も受け持っている。
どうも、小説を扱った授業内容となると、私の顔つきが違ってくるらしい。
国語教師としては、いかがなものか。
と思われてもしかたがないが、しかし、これは素直にほめ言葉と受け取っておきたい。
というより、これは私の目指すところだ。
自分が扱う教科内容に楽しみを見出せないで、何の授業であろうか。
学ぶことの喜びを伝えるには、教える側もまた喜びを感じていなくてはならない。
そう考えている。
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今さら人に聞けないことが、大人なら心の内に一つや二つはあるはずだ。
小生の場合は、天ざるの一件がずぅっと気にかかっていた。
今日、買い物に出たついでに、何か昼飯でもと、特段の考えもなく蕎麦屋の暖簾をくぐった。そして、席につくなり注文を聞きに来た店員に「天ざる」を注文してしまった。
「結婚はもののはずみだ」
などと、やや自嘲の気味を込めて言う人がいる。その言い方を拝借するならば、小生の天ざるもまた「もののはずみだった」と言わざるを得ない。
そもそも、天ざるというのは文字通り水と油ではないか。その風味の相反する対象物を同時に摂取しようというところに無理がある。
小生が人に聞けないと言ったのは、この天ざるの食べ方である。
小生の前に運ばれてきた天ざるの陣容を再現してみよう。
まず、ざる蕎麦。それに付随する蕎麦つゆ。薬味は葱とおろし山葵。これに加えて別皿に海老、蓮根、インゲン、海苔の天ぷら。そして大根おろし。
さて、これをどうするか。
もののはずみで、これと対面してしまった小生は、軽い後悔を覚えた。
何から箸をつけるか、その順番に迷い始めたのである。
「天ぷら付きざる蕎麦」の略語である「天ざる」の場合、日本語の特性として、この食べ物は「蕎麦」科に入る。けっして「天ぷら」科ではない。
となれば、まずは蕎麦を手繰るということになるが、では、この料理の主体である蕎麦よりもはるかに人体にとって比重の大きい天ぷらをどの段階で、手をつけていくか。これは、ちょっとした難題である。
蕎麦は蕎麦として、あくまであっさりとした蕎麦つゆで食べていきたい。
だが、揚げたての天ぷらを放置したまま、先に蕎麦だけを食べるというのは、日本人としていかがなものか。やはりアツアツ天ぷらは早期に対処していかなくてはならぬ。
すると、蕎麦つゆは瞬く間に天つゆと化してしまう。
その一方で、もう一人の自分が「油の浮いた蕎麦つゆで蕎麦を食うのも、これはこれでなかなかよいものだぞ」とささやき始める。
小生はさまざまにわき上がってくる思いと折り合いをつけながら、天ざるを腹におさめた。
食事をしたというより、ひと仕事終えたという気がしていた。
一度、しかるべき筋にたずねてみたい。正しい天ざるの食べ方というものを。
いや、案外適切な答えなど返ってこないかもしれない。
傍目に見ている分には、華やかで楽しそうに映るが、いざ当事者となると途端にいろいろな折り合いをつけなくてはならない。
しかも、そのとっかかりは、もののはずみときている。
天ざると結婚は、妙なところで「整いました」である。
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みかんを食べるとき、皆さんはどうしていますか?
皮をむいて、内部において球形に集結している袋を一つずつ切り離して、親指と人差し指とを、こう、袋のへこんだところに当てて口中に含み、唇をすぼめて中の果汁をしぼり出してから、袋の残骸を引っ張り出す…というようなことをしている方がほとんどではないでしょうか?
いや、拙者の場合は皮もむかずにそのまま丸ごと口の中に放り込むのでござる。なんていう剛の者は、あまり見聞したことはありませんな。
僕の場合は、とりあえずみかんを皮ごと三つに割ります。
あっ、そのときに大切なのは、右手の親指で割るのですが、指を入れるのはみかんのお尻のほう、つまり、みかんを置くときに下になるほうですね。それを上にして、そこから割っていきます。もちろん、本来の頭(このときは下になっていますが…ややこしいなぁ)の部分は割り切ってしまうのではなく、少し残しておきます。ちょうど地球で言うと、南極大陸ぐらいの割合でしょうか。
そして、ここからまたちょっと説明が必要なのですが、今度はその開かれた地球の内側に指を入れて、南極大陸の裏側からいくつかの袋のかたまりを下からはがし取っていくのです。
この感覚、分かります?
すると、下からはがれるときに各袋の表面にある白い筋も自然と皮の内側に残って、何だかとても達成感を感じますね。
そして、その数袋を一口でほお張り、一気に果汁を楽しむ…てなことをやっているわけであります。
ですから僕の場合、みかんを食べるスピードはとても早い。もちろん、袋の皮は出しません。そのまま呑み込んでしまいます。
子供の頃、親からチューインガムの食べ方を特訓させられました。
僕はいったん口の中に入れたものを、出すことがどうしてもできなかったのです。チューインガムを食べて、いざ包み紙に吐き出そうとすると、どうしても僕の意志とは反対に、舌はガムを喉の奥へ奥へと押しやっていくのです。そして、最後には呑み込んでしまう。
両親が両脇から「呑み込んだらダメだ、早く吐き出しなさいっ」と包み紙を口の前に突き出すですが、やっぱりどうしても呑み込んでしまうのです。
何度やっても、結果は同じ。
両親に責められながらおやつの食べ方の特訓を受けたという経験を持っているのは、僕ぐらいのものではないでしょうか。
さすがに、今はガムを吐き出すこともできるようにはなりましたが、一度口にしたものを吐き出すという行為には、やはり抵抗が残っています。
先ほどのみかんの食べ方も、袋を出す出さないという逡巡を少しでも避けるために、やむを得ずあみ出した戦法と言えるのかもしれません。
ものの食べ方には、その人間の生い立ちが表れるものなのでしょう。
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